2章1節 歴史神学とは何か

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初版 2008年5月3日

1. 意義

 歴史神学とは、「使徒の働き」(使徒言行録)の続編のようなものです。その後の教会が、どのように歩みながら「あなたは、生ける神の御子キリストです」(マタイ16章16節)という告白の上に立ってきたのか、歴史的教会に連なる信仰の先輩の栄光と失敗の証しを「歴史」という観点から研究する分野です。
 歴史神学の論点として、たとえば教会の信仰告白の同一性の問題があります。時代や場所・文化の変遷によって、多様性をもつようになったキリスト教会は、はたして聖書からの同じ伝統を引き継ぐ同一の教会と言えるのだろうか。いくつもの教派に分裂していながら、なおひとつのからだなる教会(第一コリント12章)と言えるのかどうか。このような論点を踏まえ、過去の教会とそこに集うキリスト者の歩みを知ることによって、教会の一致ということを学び、宣教の励ましを受け、類似の異端に対する備えをすることができるのです。ふるきをたずねて新しきを知るところに、歴史神学の意義があります。
 歴史神学は、人的要素としての「教会」や「信仰者」などに関心が向いているようですが、本来の目的は、神のことばに生きようと歩んだ人々の姿を介して、神のことばに生きることの意味を学び、歴史に示された神のみこころを知るものであり、この点で「人学」ではなく「神学」と言えるのです。これは、「使徒の働き」(使徒言行録)が、ペンテコステの日(使徒2章)以来、使徒たちキリスト者をとおして働かれる「聖霊の働き」であると言われるのと同様です。

2. 歴史観

 ところで、歴史とは人間社会で起った様々な出来事(事件)の記述と定義できます。記述の際、出来事すべてを盛り込むことはできないため、適宜取捨選択されて、口伝・詩・文学・史書などの表現形式にまとめられます。そのとき、多かれ少なかれ記述者の世界観や価値観、目的意識などの影響を受けます。この記述者の観点を歴史観と呼びます。
 歴史神学に従事するには、前提としてキリスト教の歴史観という大枠に立つことになりますが、そういう前提に立っていることを自覚し、さらに教派独自の歴史観にも立つなら、それをも自覚することが大切になります。主観を排して純粋に客観性を保つのは無理だとしても、歴史観を自覚することで、異なる他者を認めて学問的な議論の土壌を築くことができるからです。その自覚は、扱う文献の歴史観を意識しながら、多くの文献にあたり、見比べることによって研ぎ澄まされていきます。
 また、歴史観を意識することによって、自分の立脚する「キリスト教の歴史観」というのが、本当に神のことばに啓示された歴史観であるのかどうかを絶えず吟味する機会にもなります。その検証には聖書学の成果をも踏まえるべきであり、この点で聖書学と歴史神学の連携は不可欠になります。

3. 分類方法

 歴史神学の分類方法は他の分野と同じように諸説ありますが、よくみられるものに、教会史、教父学(キリスト教古典史)、教理史、神学史、伝道史(宣教史)などがあります。この他、信条史、典礼史、キリスト教音楽史、美術史、教会地誌、統計などを加えることもありますが、それぞれ信条学や典礼学などに統合することも多いようです。また、特にカトリックでは、教会法制史、教会公会議史、教皇史、修道院史などを独立の分類とすることもあります。
 主なものを説明すると、教会史は、キリスト教の起源と発展を歴史的に研究することによって、キリスト教の本質的意義や一般文化との関わりを的確に理解しようとする分野です。
 また、教理史は、教会によって承認されてきたキリスト教教理の形成・発展の歴史的過程を研究することによって、教会におけるキリスト教信仰の歴史的形態を明らかにしようとする分野です。
 さらに、伝道史宣教史)は、キリスト教の拡大・衰退の主要な流動とそれを担った主要人物を研究することによって、教会による福音宣教の拡大・停滞・撤退の要因を明らかにし、現代の宣教に有益な知見を提供しようとする分野です。

4. 研究方法

 このように、歴史神学の研究分野は多岐にわたるため、その資料も多種多様になります。
 文献資料としては、教会会議の記録、祈祷書、教会法典、信条書などの公的文書や、神学的修徳的著作、書簡などの私的文書があります。その他、目撃者と後代の年代記者による記録類、古碑文類などもあります。
 非文献資料としては、建築物、彫刻、絵画、慣習、儀式などがあります。
 そして、それらの資料から、資料の著者を問い、著作の意図や動機を探り、著者が同時代の人物か後代の人物か、原資料によっているか第二次資料によっているかなどを突きとめていきます。資料の真贋を見極めながら、著者の歴史観というフィルターを調査することによって、必ずしも資料に報告されているとおりではなく、実際にはどのような出来事であったのかを、できるだけ精確に復元していくのです。
 この史的批評という作業を経ることによって、一度起こってしまえば不変である過去の出来事も、解釈を施された「歴史的事実」という意味では、その後の解釈作業の進展によって変わりうる(再解釈されうる)ことになるのです。ここに歴史学の発展があります。もちろん、歴史神学の場合は、歴史のなかで聖霊の働きとして啓示された神のみこころを研究対象とするので、一般的な歴史学とは事情が異なるところもあるかもしれません。しかし、聖書解釈にも歴史的進展があるように、歴史に示された神のみこころの解釈にも、進展はあると考えてよいでしょう。