第45火曜 エレミヤ書49章



【祈り】

[1] 主の祈り

【聖書通読のたすけ】

【1〜6節】 アモン(アンモン)人に対する預言

 イスラエルの領地ガドを占領しているアモン人の町々が廃墟となります。主はまたその地の偶像をさばきます。新改訳の「彼らの王」(1・3節)は、七十人訳聖書(ギリシャ語訳旧約聖書)では、偶像の「ミルコム」と訳されています。アモン人はモアブ同様、自分の財宝により頼みました。「ミルコム」がそれに仕える祭司や首長たちとともに捕囚として連れて行かれます(3節と48章7節とを比較)。アモン人は、恐れをもたらす主によって散らされます。
 しかし、アモン人には主の憐れみがあります。主はアモン人の繁栄を回復されます(6節)。

【7〜22節】 エドムに対する預言

 11節は新改訳聖書と新共同訳聖書で解釈が異なります。
 新改訳は主語「わたし」を神と解し、神に信頼するように訳します。そこでは、主は、みなしごたちを見捨てなさい、と言われます。これは詩篇68章5・6節を念頭におくものです。「エドムの人々よ。みなしごややもめを見捨てても主が住まわせてくださるのだ。その信仰があったら、滅ぼされることはないのに」というのです。この感覚に似た預言はゼカリヤ書13章7節です。主が牧者から子どもたちを取り上げ、導くのです。イエス様はこのことばを引用しました(マタイ26章31節)。
 一方、新共同訳は主語「わたし」をエドム人と解し、災難のなか、みなしごややもめを助ける人はいないと訳します。
 エドムは滅ぼされます。主はエドムを追い出し、主が選ばれた人をそこに置きます(19節)。ペリシテ同様、このエドムに対して、主の憐れみは書かれていません。

【23〜27節】 ダマスコに対する預言

 ダマスコの町々も恐怖に捕らわれ、震えおののき、苦痛に捕らえられて絶ち滅ぼされます。栄誉は何の役にも立ちません。このダマスコにも、主の憐れみはありません。

【28〜33節】 ケダルとハツォルに対する預言

 バビロンのネブカデレザルが両王国を打ちました。ハツォルはとこしえまでも荒れ果てます。ケダルとハツォルにも、主の憐れみはありません。

【34〜39節】 エラムに対する預言

 エラムを支えていた弓の力。主はそれを砕きます。エラムの人々は敵の前におののき、災いを受けます。主の燃える怒りがその上にあるからです。彼らは東西南北、四方八方に吹き散らされ、あらゆる国に離散して住むようになります。
 しかし、エラムには主の憐れみがあります。終わりの日になると、主はエラムの繁栄を回復させます(39節)。


【信仰告白】

[2] 使徒信条