第11木曜 申命記7章〜8章



【祈り】

[1] 主の祈り

【聖書通読のたすけ】

【7章】

 モーセは、民に、カナン人を聖絶し、彼らと契約を結んだり(2節)、縁を結んではならないと命じます(3節)。それは彼らがバアルなど偶像の神々を拝んでいたからです。彼らとの接触によって偶像がイスラエルに入り込むことを防ぐための教えです。
 偶像は気づかないうちに人の心に入り込んで、罪の実を結びます。そのような罪の温床となる偶像を、徹底的に取り除くよう命じられています。また、偶像に関するものを家に持ち込んで、あなた自身も聖絶の対象にならないようにと警告しています。出エジプトで神の力を見、ホレブで律法を聞き、荒野を生き抜いた世代に比べて、乳と蜜の流れる豊かな地で生まれ育つ子孫たちは、特に偶像の誘惑に弱くなるおそれがあったからです。
 偶像礼拝を放置すると、個人に留まらず、家庭や教会などの共同体にも入り込み、必ず罪の実を結ぶことになります。自分のなかに、また家庭や教会のなかに、神の愛から引き離すもの(偶像、不品行、偽り、怒り、嫉妬、プライド、高慢、陰口、中傷など)があるならば、悔い改め、主の御名によって「取り去ってください」と祈りましょう。

【8章】

 出エジプト以来、イスラエルが経験した40年間の試練、全行程を忘れてはならないと命じます。神が40年間イスラエル共同体を試みられたのは、3つの理由からです。

  1. 一人ひとりの心のうちにあるものを知るため(2節)
  2. 試みのなかでも神の命令を守るかどうかを知るため(2節)
  3. ついには幸せにするため(16)

 教会が試練に遭うときも、この3つの点を神に試されます。

  1. 教会は、試練によって、教会員一人ひとりの心のうちにある本性を明らかにされます。
    隠されていた、教会を混乱させ、成長を妨げている要因や、私たちを不幸にしている要因などが明るみに出されます。
  2. 教会は、試練をとおして、神のみことばに依り頼むものにされます。
    本性が明らかにされた者は、主の前に悔い改め、神のみことばを求める者へと変えられていきます。試練は、私たちがみことばに生きていくための訓練ですから、試練のときほど、みことばにしがみついて従っていくことが大切です。
  3. 教会は、試練を乗り越えることによって、幸せになります。
    みことばの約束を信じて試練を乗り越えるとき、そこには必ず祝福が待っているのです。試練は苦しみで終わるものでなく、私たちをついには幸せに導くものであることを知るとき、無意味と思える出来事が意味のあるものに変えられます。

 私たちは、試練のときには神に不平不満を言い、試練を乗り越え満足すると、神を忘れ、自分に栄光を帰すようになります。高ぶって主を忘れないよう、主を心にしっかり据え、満ち足りたときにこそ主をほめたたえましょう。感謝と喜びをもって神をたたえる賛美は、私たちを高ぶりから守り、神に栄光を帰すのです。


【信仰告白】

[2] 使徒信条